会議とアラモの砦

アメリカは例によって朝が早い。
8時には会議開始である。日本からは、小平さんと名簿にはなかったのだけれど予定外に巽氏もいる。
急遽来ることにしたとか。テキサスA&Mは近いので北島さんもいる。車でわずかとか。

100名以上の参加。会議に関する議論をネットで実施しようと云う新しい試み。
発言で溢れるのがアメリカの会議、そこでそのばネットで意見を云わせようと言うチャレンジ。
これははじめての経験だ。うまくいくのか楽しみ。
そのために関係のない情報アクセスを控えよという。
とくに現在進行中のオリンピックの結果やネットテレビを見るのを控えよ、と。
(笑い)

10年間つづいたプログラムのレビュー復習。レビューは2007年から3年にかけて行われた。

今後の基本方針は以下のようである。

1.SEIZE(沈み込み地震発生帯研究)とSubfac((沈み込み帯物質循環)は結合し、プラス1(おそらく大陸分裂とridge)
2. S2S(passive margin 堆積過程)はおそらく消滅(SEIZEとSubfacに統合)
3.もっと大型計算とアナログ実験を。

Margin like プログラム継続の重要性
Earth Science(実質、陸の研究)とOcean Science(海の研究)の一層の結合
NSFとコミュニティー説得、理解は重要

Thematic vs focus-siteが重要、ーー

朝は、元気一杯で、上のようなメモを取りながら、聞き入ることができた。

昼のランチの後に、一服観光。
ここサンアントニオは、かのジョンウエイン主演映画のデビークロケットで有名なアラモの砦の場所。
泊まっているホテルMenger Hotelは1859建設の歴史的ホテル。

ちょうど、幕末動乱の時だ。その時、ここはまさに、西部劇の世界だ。当時の風景は、ガンマンがうろつき、メキシコ人も溢れる、「荒野の7人」や「夕陽のガンマン」が頭をよぎる。

アラモの砦は、ちょうどマカロニウエスタンブームの影でヒットしなかったというのだが、あのあらい熊の帽子で有名になった。
<そういえば、昔、北極の島スピッツベルゲン島調査の折、いつもかぶった<僕のあらい熊の帽子>はどこへいったかな〜。
あのときジョンウエインが主役の映画のことが話題になっていたのが、ここだったのだ!とホテルへ来てから気がつく。無知!
そのアラモの砦がホテルのすぐ横なのである。
デビークロケット、アラモの砦の2つのキーワードに引きつけられて昼食もそそくさと済ませて見に行った。

石を積み上げただけの砦で、メキシコ政府軍に包囲され、テキサス独立軍(その裏にアメリカがいた)がほぼ全滅したところだ。もちろんデビークロケットも殺され、英雄伝説となった。テキサスがアメリカの州になるための露払いだった戦争だ。
戦争で200名近い男はほぼ殺され、奴隷と女子供だけがわずかに残ったという。伝導所跡。



中は撮影禁止で、帽子も脱げと監視がいる。
最後に女子供だけが閉じこもった1室の壁にわずかに色塗られた模様が残っている。
おごそかな気持ちにさせられた。

その当時のライフル、拳銃、鉄砲玉、ナイフが並べられ、人の目を引いてる。

この時代以来、殺し合ってきた人たち。このガンへの愛着が最もつよい全米ガン協会の中心もここ南部のテキサスだったね。
きっと、その背景にはこのアラモの砦の英雄伝説がその精神的支柱に間違いなくある。
彼らは独立を求めて、ボランティアで集まり、自ら銃を持ち戦い、死んでいった。
そして銃で、独立を勝ち取ったからだ。

<人類絶滅のその日まで、この地球上からは、永遠に殺し合いはなくならないな〜。
それは現代人類が20万年前のアフリカの一角で生まれてからの性だからね〜。
神には決してなれないのだ>

なんて思いながら、見て回った。
ふと目に、日本人が、この砦に感動して作ったという石碑が置かれている。

志賀重昂という人が、1914年にここを訪れ、アラモの砦の話と、自己を犠牲にして戦ったJames Butler Bonhamが1575年の長篠の戦いにおける鳥居強右衛門の最後と重なり感動し、日本から花崗岩に刻んで持っていったという。
誰この人?とWikipediaでしらべたら、
http://ja.wikipedia.org/wiki/志賀重昂
うっきゃー、札幌農学校出身の東京地学協会会員の地理学者、100年前の、ほとんど我らと同業ではないか!
鳥居強右衛門の最後?知らない。
http://homepage3.nifty.com/k-haruaki/ka-nagasino.htm

知らなかった。3年前の大河ドラマには武田がテーマだったけれど、出てきたのかな?
歴史って深すぎる。

おっと会議開始の時間、もどらなきゃー

つづく