環境ー「知りたい」と「役に立ちたい」

いや〜、twitterでつぶやくとブログが滞るね〜。
しかし、長い文章を書きたい時は、やはりこっち。
ということで久々にーー。
ーーーーーーーーー
昨日、駒場で学科相談会へ出かけてきました。ガイダンスとは別に講義のあとに実施したものです。
東大は、まず理科で入学した後、教養課程を経て改めて進学する学科、専門を決めるというプロセスをとっているためです。
1990年代の大学教育の大綱化の名の下にほとんどの国立大学から教養部や教養課程が消えてしまいましたが、東大は維持しているからです。このことを論じ始めるとそれだけで膨大なものとなります。専門のための基礎教育といわゆるリベラルアーツ教育との関係という高等教育の根幹に関わる課題と絡むからです。

それはさておき、地球惑星環境学科の相談会でした。
http://www.eps.s.u-tokyo.ac.jp/jp/gakubu/chikyu.html
現役の4年生も多く参加し、説明の後、少なくない相談に残った学生達と懇談がもたれました。
私は、コメントを求められましたので、次のような話をしました。


理学部の「環境」と工学部や農学部に多くある「環境」関連学科と何がどう違うのか?

この問いに対する答えは、一言でいえば、「知りたい」ということと「役に立ちたい」ということの関係にあるといえます。
理学部の基本的スタンス、理念は、「役立ちたい」ということを横目で眺めつつ、「知りたい」という沸き上がる思いを全面に立てて科学を推進するところ、だということです。あえて「役に立ちたい」を横目で眺めないことも構わないのです。
役に立つのは結果であって目的ではないということです。しかし、科学の歴史を見ると「知ること」が結果として強力に役に立ってきました。10年後、20年後、50年後あるいは100年後、必ずや役に立つことにつながる。ぞれよりもずっとずっと前を走る、ということです。
一方応用学部では、「役に立ちたい」を全面に立てて技術を推進するところ、といえます。「役に立つ」ためには「知ら」なければなりません。従って、技術の開発や推進からも結果として多くの科学的発見がもたらされてきました。

環境という同じ名を冠していても、理学部における地球惑星「環境」と他の学部における「環境」の理念的違いは、この「知りたい」と「役に立ちたい」のどちらを全面に出すかにおいて大きな違いがあることとなります。

環境というとともすると「環境問題」が全面に出ます。地球温暖化抑制のための温室効果ガス排出抑制技術開発、有害物質排出抑制技術開発、エネルギー効率化技術開発ーーー。それらも大変大事です。しかし、それらの背景として根本として理解すべき、地球における大気海洋、固体地球、生命圏とそれらのあいだの壮大な物質エネルギー循環の理解なくしてこれらに対応すると重大なミスを犯すかもしれません。地球の長い歴史において全ての氷が消え去った歴史があること、赤道域まで全て凍り付いた歴史があること、ある日突然大きな隕石が衝突して地上に住む生命の多くが絶滅してしまった歴史があること、大規模な地震と火山でこれまた多くの生命が死んでしまった歴史があること、など実は壮大な自然が引き起こした多くの事件があったことなど、ほとんどの人は知りません。それらは未来の地球においても起る可能性があるのです。だから知りたいのです。太陽系の他の惑星における環境や生命の存否それらも私たち地球の環境や生命の存在を根本から理解する上で欠かすことができません。

「そんなもん、役にたた〜ん、科学者の自己満足だ〜、お金の無駄使いだ〜」との声が聞こえてきそうです。
そうです。今日の明日のためにすぐに役に立つとは限りません。すぐに経済的にも儲かったり、生活が改善されたり、することには簡単につながりません。しかし、このような知的活動は10年後、20年後、100年後の未来に役に立つための技術を開発するためには絶対に欠かせないことなのです。「環境問題解決の役に立つために10年先、20年先、100年先を走る!」それが地球惑星環境学科の「環境」に対する基本的理念と私たちの誇りだといえます。

学生諸君、未来の地球と人類のために、「知りたい」という思いを一緒に実現しましょう。