科学者とは何か

科学研究費申請の書類かき他で半徹夜が続き、ようやく一服の週末突入。
夜明け前の外は冷たい雨の音。
この間の隙間読書記録の1つを記しておこう。

科学者とは何か (新潮選書)

科学者とは何か (新潮選書)

村上氏がこの書を記したのは、いまから17年前(1994年)。時は、バブルがはじけた直後。阪神淡路大震災(1995年)で更に日本社会が打撃をうける直前。日本の大学においては、「大綱化」により、教養部、一般教育が次々となくなってゆく始まりの時。多くのところで「大綱化」を受けて、大学改革の実行案が次々と打ち出された時だ。その上からの改革エッセンスは広いリベラル・アーツ教育より狭い専門家の効率的育成を推進することであったように思う。

当時の大学改革、専門たこつぼ化、益々の業績主義の強化の方向とは裏腹に、科学の総合化、ホーリズム的視点、複雑系科学の勃興など、めまぐるしく進展する科学。そのような時代背景の中で、この書は改めて、転換期の科学者像を問うていた。大学改革あるいはまた科学の総合化においては科学哲学的、科学方法論的、科学社会学的議論が欠かせないが、それらは狭い専門分野(特に基礎科学的分野)からはともすると敬遠され、視野には入らない。というか、そのようなことを考える時間すらないほどの現実がある。

本書を読んで改めてなるほどと思う事は以下だ。

第1次世界大戦後の20世紀前半の時期は、科学と社会との関連が本格的に議論され、「科学社会学」の始まりの時期だと言う。戦争と科学、産業と科学などが科学者にも全面的に問われたからだ。

その後、第2次大戦を経て、ロバート・マートンは科学者共同体の中の人が、どのような倫理規範で動いているかを分析し、それを4つのエートスとしてまとめたのだという。

公有性(communality): 知識は個人のものじゃない、皆のものということ。
普遍性(universality):普遍性をもった知識こそ追求対象。
私的利益からの解放(disinterestedness):私的利益にこだわってはいけないということ。
組織化された懐疑主義(well-organized skepticism): 無批判に疑ったり、安易に信じない。健全な懐疑主義をもって判断、行動。

この4つのエートスは、胸にストンと落ちる。

しかし、村上氏は、現在(今から17年前)、科学者はこれらの倫理・行動規範では動いていないと指摘した。

東日本大震災後、科学と社会、科学者の社会的役割について様々な議論が沸騰している。特に地球科学は、自然災害だ、環境だと、そのことを避けては通る事ができない。科学研究費申請に当たっても、必ず記さなければならない事に、社会へのaccountability(説明責任)があり、大型研究ではoutreach(広報、社会への奉仕)がある。それがなぜ必要なのかの科学者の倫理・行動規範の原点は、マートンの4つのエートスにある。

というので、遠い昔、学生時代に読んだ本「職業としての学問」を改めて読んでみようと書棚を探しているのだがーー。ゴソゴソ、ふー!(埃を払う息)