5月10:45~11:15 地球惑星科学連合大会「学校教育用語セッション」で招待講演
学術会議地球惑星人材育成委員会委員長職の責務で教育問題で講演をする。

30分も時間をいただいたので、どうするか思案していた。
この際、少々というか、かなり非常識だが、私の個人ルーツや学職歴の中における教育との関わりを交えて話そうと思う。
というのは、高校理科のあり方をまとめた東京大学須藤靖教授の論に「自分の環境や履歴によって、何が重要で、何が重要でないか千差万別である」とあることに勇気付けられた。

それに沿って、課題を提起すれば、言いたいことが見えやすいかな、と思ったからである。
キーワードは、「リベラル・アーツ」と「科学と社会」である。

使う予定のスライドの一部。


私のルーツ。
祖父が、福島県相馬から、二宮尊徳の孫、尊親の北海道開拓の成功物語に強く刺激され、北海道移住。
父は、師範学校から教員へ。終戦。時代と世代の断絶!滅私奉公の教育者はおかしい!




「少年よ大志を抱け!」この開拓者精神はなんだ?クラーク、新渡戸稲造内村鑑三
そして、あの坂本龍馬本家の直系、坂本直行もいる、何なのだこの大学は? リベラル・アーツ。




 日本の地質学は2つの流れで入ってきた。ドイツからナウマン。業界では皆知っている。そしてアメリカからライマン。こちらは北海道を知らない人は知らない。でも最初に地質図を作ったのはこちら。
 この輸入経路の違いは、時の流れを見れば、明治新政府の長州と薩摩の確執にあることは明々白々。
 でも地質学の科学史では深く掘り下げられていない。不思議だ。いやあまり不思議でもないかも。
 自然科学をやっていると社会の流れとは切り離して見てしまうのだ。

そして戦後、リベラル・アーツ全面展開の時がきた。中心に新渡戸稲造の薫陶を受けた、南原繁東大総長がいた。教育に「リベラル・アーツ」の精神注入が始まった。
「リベラル・アーツとは?」と、聞くと「自由芸術?」と答える理学の教授がいたから驚いてしまった。
「自由になるための学・技・芸・術」と理解すべきだ。だって Artsと複数でしょう?と。それが大学教育の本質だと、長年の学職歴の中で理解していたのだが。

こういう歴史を踏まえた、教育に対する主観を述べる予定です。興味のある方はどうぞ。パブリックセッションなので入場無料です。