讃岐の偉人、南原繁と現代
南原繁と現代―今問われているもの

 南原繁は、戦後最初の東大総長。今手元に数冊の本がある。不思議な出会いだ。私は立花隆氏の著作は読んできた。その中で初めてこの人の片鱗を見て偉大な人であったことを知った。札幌農学校のクラークから大きな影響を受けた「武士道」の新渡戸稲造内村鑑三らから一高(現在東大駒場にあった)時代に薫陶を受けたことも道産子の私には身近に感じさせてくれた。

 その程度の認識で、最終講義のスライドの中に織り込んだ(前回のブログ参照)。ところが縁は奇なものと驚いた。


 私は北海道での博士後浪人生活の後、人生で初めて職を得て四国の高松に赴任した。数年が経ち向井淳彦君という学生が神戸から入学してきた。警察官をやめて、先生になろうと教育学部へきたのだという。目が輝き気骨の塊のような若者。卒業して県立高校の理科の教師になった。高校が近くだったこともあり、卒業研究を論文に仕上げてアメリカの学会の雑誌に印刷となった。私がプレート沈み込み帯を本格的にはじめるきっかけとなった仕事だった。


 随分と時間が経って、彼が、定年に際しての最終講義にわざわざ駆けつけてくれた。風格も立派な教員となっていた。
 彼の方も驚いたようだ。その南原繁の母校、香川県三本松高校(旧大川中学)で教鞭を取っていて、南原繁は郷土の誇る超大物英雄だという。そして母校にある南原繁に関する著作を数冊まとめて送っていただいた。
 
 驚いた!南原のふるさとは香川県徳島県の県境、旧引田町相生。私が香川で穏やかな気候と風土に魅せられ、海に魅せられ、そこにある魚たちと食に魅せられ、夜討ち朝駆けで白砂青松の浜での海つりに凝って高松から勇んで出かけたその地だった!夏には家族を連れて、キャンプまでして海で遊んだ。魚影も濃く、源平の戦では、平家がここまで逃げて湾に隠れ安どしたという安戸池。南原はその地の貧しい家から東大総長へ上り詰めた超英雄伝説の人だったのだ。
 
それだけではない。その南原繁こそ、戦後日本の教育再生の中核にいた人だったのだ!

彼の生きた20世紀、たび重なる激動のるつぼの中で、彼の考えたことから、今こそ学ぶべきことが多いと改めて思う。腰の座ったヒューマニズムリベラリズムがそこに見える。

今だからこそ、じっくりと読んで先人に学びたいと思う。まずは、出会いの報告まで。