相撲の思い出

ニュースで相撲スキャンダルを延々とやっている。

そのことへの感想はさておき、相撲の思い出を記しておこう。
昔、北海道は力士を輩出すること全国1であったからだ。
炭坑街にいた小学生の頃、相撲の巡業がやって来た。
小学校の体育館は力士の控処。
私は小学校の教員住宅の住人。
教員住宅共有の風呂が独立してあった。
その風呂を力士が交代で入るのだ。
練習の後の泥んこの体でザブン!
近所の子供達はその光景が面白く黒山の人だかり。
見上げても顔が見えない。
でも、目の前の浴衣からはみ出た何やらブーラブラ。

初代朝潮。胸も背中も毛だらけだ!
秩父山。なにやら体中がタッポタポしている。

その力士の体に皆ペタペタと触って大喜びだ。
映画でしか見たことのないスーパースターが目の前にいるのだ!
(テレビが普及する前で、相撲はラジオ中継のみ。映像は遅れて届く映画館でのニュースフィルムでしか見ることはない。古き良き昭和の時代だ)。

北海道をくまなく巡業するのは、力士探しも一つの狙い。
大きな体に、機敏な運動神経がある中学生には必ずスカウトの声がかかった。
そして、「頑張って来いよ〜」と学校中で見送った。中学から部屋に入ったのだ。

それから20年が過ぎて、私にも義理の父ができた。
その義理の父は、なんと!初代「若の花」(初代二子山親方)の先生だった!
若乃花栃錦の大勝負はあまりにも有名。その「若の花」だ!
そういえば確かにその街の港で荷担ぎをしていたと漫画「若乃花物語」にあったのを思い出した。

先生は先生でも相撲ではなく、小学校の。義父が最初に教員となった時の教え子だったという。
親方が帰省するたびに同窓会が開かれ招かれる、と自慢げに語っていた。

相撲は、貧乏のどん底にあっても腕一本で這い上がることの出来るジャパンドリームだったのだ。
だからその成功者には、国の隅々から拍手喝采のスーパースターだったのだ。
今は昔、そのようなハングリー精神、今の相撲界にあるのだろうか?