冬が来てクリスマスが近づくと歳を重ねる。
子供の頃、長い間私の誕生日は、戸籍の上で4月20日になっていた。本当は12月20日なのに。
4月20日は父の誕生日。本当は早生まれになるはずだったのにちょっと早く出て来たらしい。だから体は小さかった。3歳の時に病気をしたのでなおさら小さかった。

小学へ入学した時は一番前だった。

親がこの戸籍上の記載ミスにはじめて気がついたのが小学へ入る時にそろえる書類のための時だったらしい。北海道の田舎町での役所が親の誕生日と間違えたのだろう。そういえば間違いをどのように証明したのかは聞いていなかった。
いまなら証明書類は大変だろうなと思う。
もう半世紀以上も前のこと。戸籍は手書きだったような気がする。

クリスマスと一緒に家族の誕生祝賀はあったが、いつも喜びとして得をしたのか(二回分祝いが重なり、増幅される)か損をしたのか(2回あるはずのものが一回になってしまった)のか分からずに過ごして来た。ここ数年はなぜか飛行機の上にいたり、アメリカ発が19日、日本着が21日などと、誕生日が消えてしまうことが繰り返された。4年くらいは得をしているはず。

閏年の二月29日に生まれた人は、誕生日を前の日か翌日にずらすというのは本当なのだろうか?なにしろ4年に一回しか誕生日はないのだからね。

昔、数え歳というのがあって、それもよく理解できなかった。
生まれた瞬間、0歳がなく突然一歳。翌正月が来ると二歳ーーー。いまでも良くわからない。
厄年とか元服とか、七五三とか、年齢に関係するものは皆、この数え歳行事。だから厄年はこの数え歳。
男四十二とは実際には40歳のことと。おまけに旧暦(太陰暦)。お月さんの周期で時を数えていた。

明治6年に暦が太陰暦から太陽暦へと変わった時は大混乱だったと想像する。
時を支配する者が、社会を支配した。時報の寺の鐘。夕方5時の「夕焼け小焼け」の一斉放送。
そういえば、東京丸の内のど真ん中の午後5時。「夕焼け小焼け」の一斉放送が流れていた。しかし、そこには子供の姿は一切ない。ネクタイを締めたサラリーマン。

還暦を過ぎると、少々のことでは動じなくなる。
かの国で将軍様が死んだという。その歳に大分近くなった。
封建王朝で繰り返された後継者権力委譲をめぐる無数の争乱と同じ構図。
血を,DNAを残したいというのは、動物の生存本能としてあるが、それが権力と結びついた究極の形。
そのようなことも齢は、時は、全てを押し流し、淡々と流れてゆく。

なにかとりとめもない朝のblogging