旅とトラブル

恒例のアメリカ地球物理学連合(AGU)大会も終わり、今夕帰国の途につく。
私は無事終わりそうであるが、同行した学生が少々トラブルに見舞われてかわいそうなので、私のトラブル史でも記して励ましとしよう。

1)最初のトラブルは、大昔の最初の渡米。まだ英語も満足に聞き取れないとき。いきなりのoverbooking.
transitのハワイで、check-inも済ませて一眠り。そろそろ時間だというので起きてカウンターへ行くと黒山の人だかり、長蛇の列。わめき合う人。何が起きているのか分からない。同行の長い滞米経験のある御人が即座に理解。最初のgive-upの募集でもまだ足りない。値段がつり上がる。まだ粘る。だって、二つの講演予定が間に合わない。最後は、倍額となり、ticketはどの航空会社のfirst classでもなんでも受け付ける、ということで決着。その足でシンガポール航空へ。一時間後にdeparture!おまけにchash!全てOKというhappy end. 教訓ー粘り勝ちだね〜。その後、もう一度巴里ー東京便で経験したが、その時はmilageとホテル代で誤摩化されたね〜。でもホテルで思わぬ日本人たちと一期一会で楽しい思い。ま〜、帰りは焦る旅でもなかったし。それも結果オーライ。


2)まだ共産時代のソ連ハバロフスク、ロシア。予約の取れてるはずのホテルの予約なし。空港からしっかりと同行を管理されてる国で、「お前の名前はない」と言われる。「そんなはずはないだろう、ホテルまで連れて行け」と無理矢理バスに乗り込む。ホテル着。やっぱり名前はないという。部屋もないという。「なんて〜国だ!」と叫んで、それならそれでいい。俺は調査のための寝袋を持っている。このロビーでいいと寝袋を広げてストライキ体制。「ああ〜、これでかつて杉本良吉、岡田嘉子が拉致逮捕され消えていったように、駄目かもしれない」(当時、戦前の大スキャンダルであった二人の逃避行から50年?岡田嘉子が帰国した。杉本良吉はスパイ罪で処刑されていた事が判明する)と思いつつ、なるようになれ!」と寝袋に身を入れていると、「研究所と連絡が取れた。部屋へ来い」という。私「払いは研究所になってるはずだかーー」と更に居直る。翌日、サハリンへ跳んだ。サハリンにて、研究所所長「何をやらかした!?がく」「えへへ」。これも一歩間違えば外交問題に発展するのことが事なきを得る。
その後、ソ連崩壊直前には、書ききれないくらいのトラブル満載。結局、調査継続をやめた。


3)ロンドン。連絡をしてあった友が、急遽相手できなくなったというので、ガールフレンドが相手をしてくれた。そこまでは問題なくOK.(彼は後に欧州グリーンピースの科学部長になってびっくり!)。しかし、移動したケンブリッジゲストハウスでトラブル発生。玄関上の二階の部屋でリラックス。風呂でも入るかと湯をはるために蛇口をひねったまま、うとうと。突然、外から怒鳴り声。zzz--.水が溢れている!年老いた管理人が怒っている。ひたすら謝り、「完全に私のミス。弁済にかかる経費は全て払うからご勘弁をと」心の内では「そんな金、どこにもないぞ〜」ともう一人の自分が冷ややかに言っている。
最終日。電気はつくようになったので弁済の必要はありません。「あなたを学生と思い、日本からのお客とは知らず、失礼をしました」と丁寧に対応してもらい、かえって恐縮。若かったよな、そういえば、と今から思うとなつかしい。

4)中国北東部奥深く。北朝鮮との国境近くの街。
ここもトラブルの連続で書き記せない。当時は、残留日本人孤児問題も拉致問題も大きく表には出ていなかった時代。恐らく私たちは、第二次世界大戦以後では、外国人として足を踏み入れた早い段階での日本人ではなかったかと思う。そのうちゆっくりと振り返りたいものと思う。
足を踏み入れた当時の最初の感想。わわw〜!三国志の時代と何も変わらないのではないかーー、これは!!??
そこがいまや脱北者たちの隠れ場所。時々映し出される北朝鮮辺地の映像。それが当時の風景とダブる。

5)黄色いリボンのアキノ革命真っ最中のフィリピン、セブ島
マルコス大統領が不正選挙の結果、革命が起こった。まさにその日、セブ港へ入港した東大海洋研究所白鳳丸。港も街も戒厳令。船には自動小銃を持ったお雇いのガード。セブにはアキノがいる。マルコスが逃げたので勝利宣言をするという。もう大丈夫だというので外出禁止令、戒厳令が敷かれている街へ繰り出す。しかし、銃を持ったガードつきで。先走って行ってしまった同僚があわてて帰って来る。タクシーの窓から財布をひったくられた。食事代を出せと銃で脅された。ーーー。

6)真夏のオーストラリア渡航日、最後の日本食と食べた岩牡蠣。うまかった! しかし、機内でなにやらお腹がゴロゴロ。
以降20日間、腹痛と下痢が止まらず。それでも調査は続けてーー。帰りにはげっそり。外国製の下痢止めは全く効かない!そういえば先の中国東北部でも効いたのは正露丸(これって正しくは征露丸。これで持った日露戦争。「坂の上の雲」で出て来るかな〜。本当に水で一発にあたるからね〜。満州の地は)と強力ワカモト。去年、インドでもやられた。

まだまだ微細なトラブルは山とある。幸いにして命に関わる事はなかったのでいまでも行きている訳であるが。
1に命、2にパスポート、3がクレジットカードかな?
ま〜。命があればなんとかなるものと構えるしかないね。外国旅行はトラブルがあるのが普通と思って、デーンと構えるしかないね。
上のように人生の中でいろいろ経験すると、ちょっとなくしたとか、ひょっとして盗まれたとか、小事と言わねばならない。悔しいとか情けないとか思うかもしれないけどね。人生長いんだし。勉強したと思って、強くなるよ。

そういえば、バリでもあったな〜。ルーブル前のひったくられ、つきまとわれトラブル。
インドネシアジャカルタでも。