地球科学における哲学
今後の科学の、とくに地球科学の進み方に関してお茶飲み話をする機会があった。
なぜ、地球科学だ、地球惑星科学だ、地学だ、地質学だ、地球物理学だ、ーーーと名前も多く、最近では地球惑星物理だ、地球惑星環境科学だ、ところころと変わるのか?全国の大学で名前が皆違う。縦軸と横軸にはやりのキーワードを並べて組み合わせれば、どこかにある。
1990年代、大学大綱化の名の下に実施された、改革の結果だ。外から見ると訳がわからんだろうね。特に高校生や受験業界からみれば。
ちょっと人気に陰りが出ると、名前を変えようか等という議論がでる。
工学部や農学部なら良い。
コロコロと変わるのは日常茶飯だからだ。
しかし、「真理の探究」を旨とする理学部にあって、腰の据わらないことにははじまらない。
そもそも、なんでこうなのか?
私は、この科学に大変不足しているもの、それは哲学だ、と思えてならない。
哲学というと、「え?文学部? なんて反応することはないだろうね〜」
科学方法論に関する日常的鍛錬といってもいい。
なぜ、哲学が不足しているのか?
そこには、この科学の歴史や、我が国特有の歴史も反映しているが、やはり自然を知る方法に関する深い洞察の不足だ。
なんて、文句のいうことは容易な事だ。
その哲学的考察を、大学院向けで、実際に研究に突入中の院生を相手に、セミナー式でやろうかね〜。
っと、話をさる教授とした。賛同者をつのり、来年度開講にむけて準備だ。