大学の敗北

連休初日に新聞の宣伝、中央公論で「大学の敗北」特集がされているという。
さっそく、購入して読んだ。
このような月刊雑誌を読むことはほとんどないのであるが、昨年末の「事業仕分け」の影響だ。
来年度の大学への運営交付金も、民主党の公約に反し、引き続いて約1%減。
新聞紙上でも、科学技術関係が結局大きく減り、OECDの中で、最低水準となり、先進国からの転落も近いことが叫ばれ始めている。
現場には更なる不安が広がる一方である。しかし、どう全体として未来を設計し、その中に自らを位置づけるのかが見えない。
すると、自動的に目先の利害で一喜一憂することとなる。それでは未来は見えない。

記事は5つ。
表紙も飾っている、超有名人「養老孟司」<東大よ、「世間」に背を向けよ>
コメントを記そうという気にもならないので、スキップ。
雑誌が売り上げを維持するためには仕方のないことなのかもしれないがーー。

林哲夫 <学生を路頭に迷わせた「失敗」の履歴
「ダメ」出し、失敗を列挙することは易しい。「ネガ」(negative)と「ポジ」(positive)の包括的総括がなければ、歴史を前へ戻せとの答えしか導き得ないのが常。
そこからは未来を描けないことも、歴史の教訓。

西田亮介<見えない将来の生活像ーーある若手研究者の悩み多い日常>
昨年の、「事業仕分け」「国の科学技術政策」を固唾をもって見つめる若手の現実が痛いほど伝わってくる。
このような、国の将来を担う若者たちの「こころ」を、政治は泥靴で踏みにじった。
若者が未来を描けなくさせ、一度信頼を失った政治の回復は容易ではない。

黒木登志夫<東大一人勝ちの弊害と、科学オンチ政治家の罪ーー地方大学は生き残れるか>
岐阜大学学長が、全力を挙げて岐阜大学のために力を尽くした、世界と日本の大学をめぐる予算配分の実態、研究活動の実態を分析し、地方大学の地域での使命、生き残り戦略を提起する。
私自身も、延べ15年間、責任のない立場とはいえ、地方の教育学部公立大学に勤め、教育系学部の危機のための改革、大学教育の大網化の名による教養教育の崩壊につきあったので、この論は迫るものがある。高い峰しかなく、長い裾野のない日本の大学。支える広い裾野のない高い峰が折れた時、すべてが崩壊することは明らかだ。その大局的危機の指摘はまったく正しい。

吉見俊哉 <爆発の時代に大学の再定義は可能か>
本特集の中で、最も読み応えのあるものであった。
世界の大学全体を現在という時空間の中で俯瞰し、大学爆発時代であるという。
更に世界の大学の全歴史と云う時空間でとらえ、忘れ去られているかに見える大学の根本理念を問い、大学の再定義を問う。
11~15世紀/宗教改革からルネッサンス時代の大学の成立。
16~18世紀/印刷革命から科学発展の近代における、大学衰退とアカデミーとポリテクの発展。
そして19~20世紀/フンボルト理念にはじまる国民国家と帝国時代の大学の大発展。

そしていま、人類史上初の大学爆発の世界。おまけに情報革命。

「大学はそもそも単独で、新しい知識の形成や流通、継承を可能にする最も基盤的なレベル足り得ない」
「大学は, --積層する知識形成の実践を集中化させ、再編成し、より安定的に継承可能なものとしていくある種のメタ・メディアである」
「大学を同時代の知のネットワーク、コミュニケーションの重層的な編成全体の中で定義し直す」
「大学を、それ自体で閉じた空間と考えるのではなく、それが未来的な知のネットワーク全体の中で占めていく場所に照準」

氏の著作はたまにマスメディアに見えるものしか読んだことはないのであるが、冷静で理念徹底で、未来をかいま見せてくれる。
この著作は、私にも新しい視点をもたらしてくれた。考え続けたい。