暴走老人(2) 公開講座と老人パワー

暴走老人(2)公開講座と老人パワー

 その1で、なにやら具体的な生臭い話がつづくのではないかと期待された方、話をはずしてごめんなさい。でも以下も大事なことなので。「暴走老人」とは年齢差別用語だとの批判もあるかもしれませんが記します。

 最近市民向けのサイエンスカフェとか公開講座がたくさん開かれている。その聴衆の多くは年をとられた方が多い。先日も公開講座で講師を引き受けて700名くらいの人の前で話をした。質疑の時間になるとサッと手が挙がる。ほとんどは頭が白い方々である。それも前列の席を占め、堂々と議論を吹きかけてくる。その頭ごなしの突っ込みに驚いた。それもそのはず、個人で○x研究所とか作り上げ、所長を名乗られているお歴々なのだ。そんな方のために公開講座が開かれているのではなく、老人でも若いときに勉強できず、ようやくゆったりとした時間ができたので勉強したい方のためにあるのではないかと思った。

 しかし、むげに対応することもできず、やりとりをした。科学に関するやりとりは普通、学会の席でやるものだが、これはそこからはみ出た「暴走老人」の集まりかもしれないと思い驚いた。運営している人に聞くとスタンプラリーの会員制のようになっており、○○回参加すると景品粗品がもらえるという。公開講座を開催する側もいろいろ苦労をしているということなのだが、なんともこういう「暴走老人」を固定聴衆化してしまっているようだ。

 そして、迫られてした名刺交換の結果、○×研究所xx教授講義録なるものがメールで送付されてくるようになった。そこには一切の引用もなく極めて怪しげな読み物である。こういうものに公開講座が利用されていいのかと思ってしまう。phDとあるがどこで取得したのかも記されておらず、正体不明。

 この暴走する「知識人風」老人パワー集団、その後ろで引いてしまっている穏やかな老人たち、そしてその横で完全に引いてしまっている若い人たち公開講座にはこの負の連鎖があるのではないかと深刻に思えてきた。

 一般のサイエンスカフェなどは、やはり高齢者が多いのではあるがもっと素直で紳士的な参加者が多い。素直な老人たちの最後の人生時間にかける「知りたい」と思うエネルギー、どうにか有効に社会でうまい歯車が回るようにできないかと思う。

「暴走老人」や「老害」としてではなく、至る所に「仙人」がいて未来を担う「童子」と戯れ遊ぶように。

そういえば未来科学館のボランティアはそのような方々が支えているのではないかと思う。私たちの春に開く地惑連合大会も会場整理などはそのようなボランティアに支えていただいている。

未来は子供たちのもの、老荘青少幼の輪の中で、暴走ではなく健全な突出は全体を引き上がる。