続く激震17/知識人-科学者の反逆? そして「ソクラテスの弁明」

今回の刷新会議事業仕分け騒動で、なにをどうすればいいか、考えながら、いつもの癖で、帰り際、書店へ立ち寄った。
科学書コーナー
「本当に科学書コーナーは小さく狭い。おまけに翻訳本が圧倒的。あることはもちろん悪くはないし、翻訳者には頭が下がる。日本では層が極めて薄いサイエンスライターそして科学ジャーナリスト。外では、皆、博士たちがそれをやっているーーー」と思いながら、、
ん?と目に留まったのが、

ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)

ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)

高校の倫理社会の知識では、2400年前のギリシャ無知の知」「悪法も法」そして、知識人の反逆と習う。
(今時理系学生は知らないかもしれないな〜)あの偉大な哲学者、プラトンの生みの親。

私も、講義の際には、そもそも自然と地球への思いはね〜、とはじめる。
「どうして、なぜ、なぜ?」って言い続けていたら、うざい!神そして国家への反逆者、お前は、死刑ーー! となり、毒杯をあおったソクラテスーー、からはじめる。
それを目の当たりにした28歳のプラトンがアカデミアをつくり、包括的な哲学(自然哲学を含む)へ。そして根本はイディア、自然を支配する原理は1つと考えた。
その後、その思想は2000年の眠りの時を経て、ガリレオニュートン原理主義、要素還元主義へとつながり、現代科学の大ブレークへつながった。
しかし、そのプラトンには、さらに、「先生!ちょっと待った!」のアリストテレスという反骨の弟子が生まれ、それは森羅万象の包括的理解こそ本質との科学の流れを生んだ。
それが現代「複雑系の科学」の流れとなっていると、人類の知識の歴史、2500年を私は勝手に自分で短縮し、地球科学の話へつなげている。

その全ての始まり「ソクラテスの弁明」が目の前にあるのである。これは読めと言われているようなもの。
そして、通勤電車の中で一気に読んだ。遠ーい昔に目にした記憶があるが、私の知識も上の二行だけ。

そうか、傲慢とも思えるほど、挑発的である。「私ほど知っている人間はいない、それは自分が無知だということを知ってる。しかし、皆(多分政治家?裁判官?)自分は短時間ですべてを判断できるほど、全てを知っていると思ってる」と。なにやら事業仕分けとダブル。
その弁明に裁判の半数近くは動揺し、無罪とする。しかし、ソクラテスはあえて、多数意見で決した有罪を受け入れ、死刑を受け入れ、そもそも残り少ない人生(そのとき70歳)より、自分のメッセージが最大限伝わる方法としての死を選ぶ。なにやら武士道に似る。恐れおののきは無知であり、死とは誰も知らない故に、それを知る事が楽しみであるとのメッセージを残して。

この一人の反逆と弁明が、人類史を変えた。
私にはノーベル賞学者が、そして団塊世代以上の多くの科学者が、訴える姿には、このソクラテスの叫びがダブル。もちろん、いま政府に楯突いたからといって死ぬわけでもない( 大二次世界大戦前なら大変)が、世論が事業仕分けに対して拍手喝采の中で、下手をすると、傲慢でエゴと受け取られるかもしれないのを覚悟で叫んでいるからだ。今の若者が、ソクラテスのときで言えば、プラトンの世代である。

事業仕分けのおかげ?で、久々に読書ができた。
黙るにも時があり、語るにも時がある。